2022/04/21 15:18
長崎の変の活動を応援すべく
ネコチャンパールを制作しました。
※こちらは非売品です
長崎県を元気にするアイデアやチャレンジを応援するプロジェクトです。
私自身、昨年福岡から地元長崎へUターン。
高齢の宝飾職人の父に倣い自分も今までのイラストやデザインの仕事から
私自身、昨年福岡から地元長崎へUターン。
高齢の宝飾職人の父に倣い自分も今までのイラストやデザインの仕事から
完全未経験で彫金職人にジョブチェンジしたのですが年齢的(昭和生まれ)には、
あまりにも遅すぎるチャレンジ。
長崎に戻ることは決めていましたがやはり色々と悩みに悩みました。
その理由はズバリ!職人は食べていけないからです…。
特にジュエリーなんて景気に大きく左右される職種。華やかに感じる仕事なのに
長崎に戻ることは決めていましたがやはり色々と悩みに悩みました。
その理由はズバリ!職人は食べていけないからです…。
特にジュエリーなんて景気に大きく左右される職種。華やかに感じる仕事なのに
職人って大変だなと子供ながらに強くそう感じていました。
しかし何かしらの「ものづくり」の仕事をしたかった自分には長崎は選択肢が極端に少ないです。
今現在、長崎にも素晴らしい加工技術を持っている職人さんはいますが、
しかし何かしらの「ものづくり」の仕事をしたかった自分には長崎は選択肢が極端に少ないです。
今現在、長崎にも素晴らしい加工技術を持っている職人さんはいますが、
人を雇う余裕は無かったりで後継者もおらず高齢で引退する方が本当にたくさんいることを改めて感じています。
そのもったいなさに、いてもたってもいられず私自身、彫金職人になった次第です。
そのもったいなさに、いてもたってもいられず私自身、彫金職人になった次第です。
ちなみに私は「30年ぶりの新人」だったそう笑
駆け出しの自分が役に立てることは一つもないのですが「ナガサキ」の
駆け出しの自分が役に立てることは一つもないのですが「ナガサキ」の
魅力を形にしたくてはじめたリモ・ナガサキ。
委託で「長崎ハタ日和」などを置いてもらう予定だった長崎のお土産屋さんも
委託で「長崎ハタ日和」などを置いてもらう予定だった長崎のお土産屋さんも
コロナの営業で閉店したり、観光地として苦境の時代ではありますが、
ネットショップを通して、こんな小さな加工屋の『ハタ』や『教会』のアクセサリーを
「長崎を思い出しました」と、県外の人が購入して下さることがあり、
本当に本当にうれしく思います。